錦織 寛。いつのまにか47歳。

大阪生まれ。誕生日は4月30日。

キリスト教会の牧師の子として生まれた。

父の移動に伴い、小学校から東京・下町の深川・木場に移る。
その当時は家の回りは材木屋だらけで木のにおいがして、
川には丸太を運ぶ筏師たちの姿があった。

小学校は江東区立数矢小学校。
1945.3.10の東京大空襲でも焼け残ったと言う自慢の校舎で学んだが
今は新しいきれいな校舎になっている。
そのころの同級生には富岡八幡宮の神主の息子や、
深川不動尊のお坊さんの息子もいた。
同じクラスに神主さんと、お坊さんと、牧師さんの子どもが
机をならべていたわけだ。
それぞれが神主、僧侶になり、
自分も含めてそれぞれ親の歩んだ後を追っている。

中学校は江東区立深川第三中学校。
その当時は東京でも数校残った男子は坊主刈りの学校で、
中学に上がるときにはそれがいやで、
最初床屋で坊主にしてもらって家に帰ったときにはやけに恥ずかしかった。
中学時代は、ブラスバンド部に所属。
最初はトロンボーンをしていたが、
途中からバリトン。

高校は東京都立小松川高校。
もと都立第七女学校だったとかで、校歌の音がやたらと高くて苦しかった。
高校時代にはサッカー少年で、
高校の脇を流れる江戸川の土手ずいぶん走った。
決してサッカーの才能があったとは思わないが、
それなりに青春できたと思う。

大学は千葉大学。人文学部人文学科心理学専攻に学んだ。
「頭の体操」の多湖輝の元で学べると思って千葉大学を選んだのだが、
多湖先生は実は教育学部だった。
自分と同じ学年にもそんなとぼけた学生が数人いた。
当時の千葉大学の心理学は知覚心理学が強かった。
学部の勉強と必ずしも興味が一致しなかった私は
教育学部に出張し、心理劇(サイコドラマ)の第一人者の一人であり、
学生のカウンセリングにもあたっておられた
時田光人先生の授業にせっせと通い、心理劇で卒論を書いた。

大学卒業後、東京聖書学院に入学し、
牧師になる訓練と学びをした。
その時の同級生の一人が今の家内の由香である。

1988年聖書学院卒業後、
埼玉県坂戸キリスト教会の副牧師として赴任し、結婚。
そこで成と宝が生まれた。
教会の前は田んぼでその向こうは鎮守の森、
お寺もあって毎日鐘がなる、
そして自分がいるのは白いチャペルと言う
坂戸の聖地ともいわれる環境で過ごす。

1991年に坂戸教会を辞し、アメリカに留学。
サンディエゴ・ベテル神学校に一年。
ロサンゼルス・バイオラ大学タルボット神学校で七年半
キリスト教教育を学んで、キリスト教教育の分野でのPhDを授与される。
PhDは日本語に直訳すると哲学博士となり、
大学で教えたり研究したりする学位である。
ただerfect ead amage (完全に頭がおかしくなっている)の略と
いう人も多い。
この間に和(ひとつ)と天音(あまね)が生まれた。

2000年3月末に日本に帰国し、
4月からキリスト教・プロテスタントの
日本ホーリネス教団東京中央教会という
新宿駅から徒歩20分の教会の牧師になっている。
現在では、東京聖書学院でも教授として
英語・啓示論・イザヤ書・キリスト教教育などを教えている。
また、日本ホーリネス教団教育局長として
教会学校の教案紙の執筆などにもあたっている。


日本ダウン症ネットワーク委員

牧会カウンセリング研究会会員

福音主義神学会会員

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